【8月24日】まだまだ残暑というこの日。 全国の駐屯地から27名の隊員が幹部レンジャー訓練学生として陸上自衛隊富士学校に集まった。 その中の一人、奥田2尉は、所属小隊の陸曹がレンジャー出身ということもあり、訓練への挑戦を決意したと言う。 しかし初日から預託すべき教室のカギを預けず、教官の怒りを買い、学生全員に反省の腕立て伏せをさせてしまうことに。 この教官こそが冷静で厳格な主任教官・長尾1尉。 装備品、居室等の点検でも、僅かな手入れの不行き届き、乱れも許さない。 91日に及ぶ訓練が開始された。


【10月13日】基本的な技術・知識の修得、体力増強の訓練期間を経て、学生たちは10マイル走を迎える。 小銃を抱えながら12キロを走破する訓練だ。 ここで失格の烙印を押されると後半の訓練に進めない。 しかし彼らはすべて出し切りながらも、10マイルを走破するのだった。


【10月22日】午前2:00。笛の音で叩き起こされる学生たち。 行動訓練第1想定の開始だ。行動訓練は戦闘状況を想定した、眠るところもなく食事も制限された中で続く戦場さながらの訓練である。 学生27名を一戦闘隊と想定し、教官が戦闘隊長を指名する。 第1想定戦闘隊長に選ばれたのは春口2尉である。 しかし戦闘隊の装備を点検する隊容検査、偵察と、各局面でいいところなく、教官から絶え間なく叱責を受けることに。


【11月17日】学生たちは最後の訓練となる第6想定の真っ只中にあった。 彼らもついに長尾教官から評価されるまでの動きを見せられるようになっていた。海上からの伊豆半島上陸を含むこれまでで最長の訓練はこの日5日目。 この間ほぼ不眠不休。 しかし伊豆から次の作戦地、富士の裾野へと移動した学生たちを待っていたのは晩秋の冷たい雨だった。 いつ終わるとも知れぬ訓練が、学生たちの心身を極限状態へと追い込んでいくのだった・・・。

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